●感謝して食べる?
毎日食事ができるということは平和という証拠であり、それだけで有難いものです。「感謝して食べましょう」はよく使われる言葉ですが、そうそう食事の度に感謝の念をもって食べている方は少ないのではないでしょうか。感謝の気持ちは大切ですが、その思いは自分の内だけで終結してしまうものです。いくら感謝をしようが犠牲となったものにその思いが届くことはありません。

ここで少し考えてみましょう。もし、その思いが仮に届いたとしたら、動物たちは何と答えると思いますか?…自分の立場として考えれば、その答えはすぐにみつかるのではないでしょうか。動物だって同じです。彼らは、殺され、食べられる事を決して望んではいません。人間の心理は都合の良いように考える傾向があるといいます。自身の行為(肉食)を正当化したいという利己欲が「感謝して肉を食べる」という発想に繋がっていくのではないでしょうか。人間は強引に命を奪っているのですから、本当は「ありがとう」より真っ先に「ごめんなさい」というべきなのでは と思います(懺悔の気持ちは食事を暗いものに変えてしまいますので、殆どの人が避ける感情かもしれませんが…感謝という言葉を人間は無意識のうちに免罪符として使っているのかもしれません)

肉食に伴う犠牲を真に理解すれば、誰もが感謝などで許されるべき問題ではないことに気がつきます。食べられる動物たちだけでなく人間や地球まで犠牲となっている事実を あなたは知っていましたか?私たち人間は感謝という言葉を逃げ道にするのではなく、生物を殺さずに食欲を満たす出来うる限りの努力をするべきではないのでしょうか。
●植物を食べることについて
ベジタリアンが受ける質問の中で必ず出てくるものに、"植物にも命はあるのに植物はいいのか?人間は何かを犠牲にしなくては生きていけないのだ"という反論めいた質問があります。確かに植物も生きています。しかし植物と動物を一緒に考えることはできません。動物は、人間と同じく(またはそれ以上の)痛みを感じる神経を持っています。痛みだけではなく、彼らは驚くくらいの豊かな感情−喜怒哀楽を表現します。犬猫が「家族の一員」として可愛がられるのは、こうした感情をストレートに表現するからではないでしょうか。家畜と呼ばれる動物である牛や豚そして鶏たちも、人間と同じように感情を持つ生き物だということを私たち人間はもっと知るべきです(多くの日本人が犬や猫を食べないようにベジタリアンは牛や豚や鶏も食べません)

動物たちは人間同様、植物に育まれる立場にあります。あなたは植物と動物を本当に一緒に考えることができるでしょうか?トマトをもぐことと牛の頭を切り落とすことは同じだと言えますか?普通の感覚を持っている人なら、トマトはもげても牛の頭を切り落とすことはできないでしょう(たとえできると言い張る人がいたとしても、植物と動物を殺す時の心の変化は決して同じではないはずです) このように動物は人間の仲間であり食べ物ではないということを私たちはすでに感覚として知っているのです。また、野菜が食卓に上るまでを説明しても不愉快にはならないのに、肉が食卓に上るまでの過程を聞くと 大勢の人が不愉快になるのは何故でしょうか?動物は殺された時点から「死体」に変わりますが、植物はそうではありません。感情の抜けた理論は大切なものを見失います。私たち人間は、自身の心にもっと素直に生きるべきではないでしょうか?そして生きることに犠牲が避けられないならば、私たちに出来ることは一つしかありません。その唯一の道は、犠牲を少しでも減らすライフスタイルを実践することです(菜食に比べ肉食はおびただしい犠牲を生み出します)

本来、人間は草食動物の仲間であり肉を食べる動物ではありません。肉を食べる肉食獣たちも、肉を食べないと生きられない体を持っているのであって、むやみに他の命を奪っているわけでは決してないのです。それに、動物には出来ないこととして人間は「食べられる相手側の気持ちを考える」事ができます。私たちは他者の気持ちを考える事が出来るその素晴らしい感情(共感力)を生かし「自分が嫌な事は他者にもしない」というルールを作り上げました。これを人間相手だけではなく動物にもいえることとして考えたいものです。

「肉食をするすべての人が、自分でそれらの動物を殺すことになったら、彼らの大部分は肉食を敬遠するようになるであろう」
トルストイ

「肉食は我々人間に適さないと私は考えています。もし人間が動物よりすぐれているというなら、人間は下等な動物の真似をするという過ちを犯していることになります」
ガンジー

「肉を買うことによって動物の殺害を要求する人びとは自分たちが買う肉の生産のさまざまの側面に目や耳をふさぐ権利をもっていない。もし人間にとって家畜の悲惨な生活について考えることが不愉快なら、それを実際に経験することは動物にとってどんな体験なのであろうか?」
P.シンガー

「知らずに行なう残酷な行為 」は普通、思いやりのないことから起こります。迷信はもう一つ別の大きな弊害です。しかもずっと恐ろしい残酷さを引き起こしてきました。動物は犠牲にされるのは当然だという迷信、そして人は肉食を必要とするという、さらに残酷な迷信によって生み出された恐ろしい屠殺について考えてごらんなさい。
J・クリシュナムルティ

「菜食がもたらす情緒面での変化並びに浄化は、人類に対して非常に多くの利益をもたらすと考えます。したがって菜食は人類にとって非常に幸多き、平和なことなのです。人類は菜食をすべきです」
アインシュタイン