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●人間の身体は草食に出来ている

ベジタリアンが受ける質問の中で必ず出てくるものに、゛植物にも命はあるのに植物はいいのか?人間は何かを犠牲にしなくては生きていけないのだ゛という反論めいた質問があります。確かに植物も生きています。しかし植物と動物を一緒に考えることはできません。動物には人間と同じく神経が通っているため当然痛みを感じます。また、ペットを飼ったことのある人なら知っている通り、彼らは驚くくらいの豊かな感情−喜怒哀楽を表現します(同じ動物として生まれながらに家畜とペットは天と地ほどの差があるわけです)動物は人間同様、植物に育まれる立場にあります。何も食べない選択ができない以上犠牲は付き物ですが、だからといって人間の仲間(人間は哺乳類という動物です)である動物を殺していいわけがありません。植物と動物を本当に一緒に考えることができるでしょうか?質問者はトマトをもぐことと牛の頭を切り落とすことは同じだと言っていることになります。普通の感覚を持っている人なら、トマトはもげても頭を切り落とすことはできないでしょう。自分が手をくだせるものしか食べない−当然のことです。しかし現実は自分の手を汚さず簡単に、キレイに包装された死体が手に入ります。おかしい世の中だと思いませんか?歯の作りで分かる通り、人間は本来草食です

人間は植物を殺しているのではなく、人間は植物に育まれているのです。酸素をもらい、我々が吐き出す二酸化炭素を吸ってくれ、果実をもらい、我々の排泄物も処分してもらえる。人間は食べたあとの果実をまき(種まき)植物は増えて育ちます。それに比べ、動物たちは我々の仲間です。人間と同じく、植物に育まれている存在です。動物は仲間であり、人間の食べものではありません(菜食のススメ/メルマガから)

もう一つ挙げると、ライオンなどの肉食獣がいる弱肉強食の世界なのだから当然人間も動物を食べてかまわないという理論があります(そもそも人間と動物を同じ立場に考えられない人がこの質問をすること自体おかしなことなのですが)人間は本来草食の体に出来ていますし、肉食動物ではありません (肉食獣は肉を食べないと生きていけません)どなたかが書かれていました「人間は食べられる相手側の気持ちを考える事ができる」でも動物にはそれが出来ない。人間には人の気持ちを考える事が出来る素晴らしい感情(共感力)があります。自分が嫌な事は他人にしない。これは動物にも言えるのではないでしょうか。それを考えられない人間は動物以下だといえます


●感謝して食べる?

「感謝して食べましょう」はよく使われる言葉です。誰に感謝するというのでしょうか?殺された動物に?誰も感謝なんてしてほしいはずがありません。自分の立場として考えればすぐに分かることなのに、当たり前のようにこの言葉が使われるのは自分の行為を正当化したいからではないでしょうか。どうせするなら感謝ではなく、懺悔をするべきです。しかし、結局のところいくら感謝や懺悔をしようとも受け手がいないので何の意味ももちません。もし私なら…感謝も懺悔もしてほしくありません。これ以上殺さないでほしい!!誰もがこう叫ぶはずです。大切な「食」の知識までが嘘で溢れているこの世の中で、常識=正しいことではない、と気づくことができた人は幸運です。この事実に気付いた人が先陣を切って、動物たちのためにも今の世の中を変えていかなくてはなりません


☆過去から未来へのメッセージ☆

「菜食がもたらす情緒面での変化並びに浄化は、人類に対して非常に多くの利益をもたらすと考えます。したがって菜食は人類にとって非常に幸多き、平和なことなのです。人類は菜食をすべきです」
アインシュタイン

「肉食は我々人間に適さないと私は考えています。もし人間が動物よりすぐれているというなら、人間は下等な動物の真似をするという過ちを犯していることになります」
ガンジー

「肉食をするすべての人が、自分でそれらの動物を殺すことになったら、彼らの大部分は肉食を敬遠するようになるであろう」
トルストイ

「私には動物の死体を食べるような趣味はない」
ジョージ・バーナード・ショー

「肉を買うことによって動物の殺害を要求する人びとは 自分たちが買う肉の生産のさまざまの側面に目や耳を ふさぐ権利をもっていない。もし人間にとって家畜の悲惨な 生活について考えることが不愉快なら、それを実際に経 験することは動物にとってどんな体験なのであろうか?」
P.シンガー